シャドウ
俺のことは、斬ってくれないの、高杉。銀色の濡れてしまいそうな朱眼と綻ばせるような頬。枕元に脱ぎ捨てられた着物に隠された木刀では生かすことしか出来ない、と振り向くことすらしなかった。
銀時の営む万事屋で無くしたものを埋める様な情事後。果てると同時に意識を飛ばした銀色は隣で規則正しい寝息を立てる。子供のような寝顔に思わず口元が緩みそれを撫でようと腕を伸ばしたが直前でその手は懐へと向かい煙管を掴んだ。口内に主張するように残る甘味を消すために紫煙を吐き出して。
くたびれた布団に包まる銀色の髪に落ちた柔らかな月光が妙に冷たく感じる。
古い壊れかけた時計の秒針と遠くで笑う人の声が静寂を冷たい空気が体内を埋め不意にこのまま夜が明けないのでないかと思わされるほど。誤魔化す様に視線を銀色に戻せば先程までの光が淡く広がり掴むことなど出来ず銀色を何処かへ連れて行ってしまいそうで思わず覆い被さる様に抱きしめた
「…ん、高杉…どうしたんだよ」
白い瞼からゆっくりと朱眼が覗く、少し眉を顰めたのは自分があまりにも妙な行動を取ったからだろう。普段なら覆い被さるにしても同時に口を塞ぎ目を覚ました銀色にもう一度するかと笑ってみせるところをそんな余裕もなければする気も起きない。抱いている最中も此処に足を運んだ時から抱えている胸に渦巻く靄が主張し続けていて、それは先程のことを思い出させた。
今から数時間前、万事屋に向かう前に小さな商談をしていた。天人から広がったという噂の新しい薬物が大量に手に入ったらしく万斉がなにかの手掛かりになるだろうと独断で取り付けたもので元々乗り気では無かった。耳に入る男の声には関心を持てずただ口に安い酒を運んだ。そんな自分の態度が気に障ったのであろう男は声を張り上げ紫色に掴みかかる、掴まれた胸倉、距離の縮まったそれから香る濃い薬物中毒者独特の匂いすら不快に感じて気づいた頃には紅く染まった握り刀を男は倒れていた。尚も収まらない苛立ちをぶつける様に転がるそれを蹴り飛ばし舌打ちを落とした。無意識に噛み締めた唇から口内に鉄の味が広がる。揺れる様な時間の中星一つ無い空に浮かぶ満月が酷く左目に染みたのを覚えている。
「…満月の夜、高杉は少し弱くなるんだよな」
透き通るような音と柔らかな体温に包まれる。怖い夢をみたと泣きじゃくる子供をあやすように頭を撫でられ不覚にも気づいてしまったのだ。胸の靄は不安だったのだと。銀色を抱きしめようと布団から離した手は紅くなどなく綺麗で、きっとどんなに人間を斬ろうと世界を壊そうとなにも満たされず自分は綺麗なまま朽ちていくのだろう。銀色を抱きこうしている間に全ての荷を背負わせていることも気づかずに今まで抱いていたのだから。結局最後まで抱き締め返すことは出来ず時間だと立ち上がり背を向け着物を着た。腰に挿した刀に思わず目が止まりそれに銀色の手が添えられる
「自分は斬れって言うくせに俺のことは、斬ってくれないの…」
濡れそうで縋るような音。自分だけではない、銀色も終止符を待っている。生にしがみ付く様な銀色が弱音を吐いたのは初めてで、押し潰れそうな銀色のそれは微かに震えていた。銀色を手放せば終わることだと握りしめた掌にはなにも掴めない。いくら縋ろうと甘えようと相手が手に入ることなど初めからなかったのだ、だからこそ手放せないと口角を上げてみる。
振りほどいた手は悔やむような余韻を残し紫色は千切れそうな世界に刀を向けた。護るもののない世界で何時か護るべきものを全て抱え足を引き摺る銀色に最期の瞬間を委ねるのだ。最期まで甘えることばかりの自分を銀色は笑うだろうか。
(どうか、世界の朽ちる時、その手で)